断捨離をすすめています
目次
捨てるのは精神労働ながら、捨てたあとのリターンがある
最近、自宅でも事務所でも、断捨離をすすめているところです。
特に自宅は、モノを買ってから2~3年は使用しても、それ以降は飽きてしまったり、趣味嗜好や心境が変わってしまったりで、使われることなく物入れや引出しの奥深くに眠ってしまいがち。気がつけば、モノで部屋が占拠されてしまいそうな状態です。
子どものころから身についてしまった「もったいない」と思ってしまい「いつか使う」と思ったものは捨てずにとっておいてしまう習性のため、
- 「いつか使う」(使う時期を特定できない)と思ってしまっても、もう使わないと決断する
- 使わないと決断したから捨てる(モノによってはメルカリで売る)と決断する
- 実際に捨てるという行動する
のは、かなりの精神労働です。
特に、使わないと決断したり、捨てると決断するのは、かなり精神力を使うと思っています。
実際に捨てるという行動をするのは、肉体労働として体も疲れますが、ゴミの分別がわからずに調べるという手間のほうが疲労します。
しかしながら、断捨離という精神労働には、リターンもあると、やりながら気がついてきました。
リターンその1 すっきりする、達成感がある
部屋が片付くこと、物入れに空間ができることで、気分がスッキリする。まずは、達成感を感じられる。
リターンその2 余白ないし余裕が生まれる
部屋が片付くことでわずかながら広くなる、そもそも空間が生まれることで、空間的な余裕が生まれるにとどまらず、心にも余白が生まれる。
その結果、何か新しいことをしてみよう、という前向きな意欲やモチベーションにつながる。
リターンその3 感覚が鋭敏になり、モノをコントロールできるという自信につながる
モノが部屋を占拠しているのを放置すると、それが当たり前になってしまい、当たり前になってしまうと、空間や余白にたいする感覚とか違和感といったものが麻痺(鈍麻)する、鈍くなる。
ところが、断捨離をすすめ、要らないと決断したものを捨てていくと、鈍くなった感覚が磨かれ、空間や余白に対する感覚が鋭敏になってくる。
さらに、モノの占拠状態は、無意識のうちに「モノにコントロールされる」状態になってしまうが、断捨離をすすめると、モノにコントロールされる状態から、自己がモノをコントロールするという主体的な状態に変わっていき、自信につながってくると感じる。
過去を生きないように、過去の重荷を処分する
お世話になっているある人から「過去を生きないで、今この瞬間を生きよう」と言われたことがありました。
断捨離をすすめながらこの言葉を思い返していますが、過去に買ったものや、もらったものを、いつまでも捨てずにいるのは、過去にとらわれてしまうひとつの原因になってしまうと感じます。
過去へのとらわれは、心理的な重荷になってしまい、前に向かうためのエネルギー効率が悪くなる気がします。車に例えれば、過積載のまま高速道路を高速で走るようなもので、燃費が悪化して、車体も傷みやすくなるのではないかと。
もちろん、すばらしい思い出を記念するようなものについては、大切にとっておいて良いと思っていますが、すばらしい思い出を記念するようなものとは言えないものについては、もう処分していこうと決めました。
現在45歳10ヶ月を経過し、人生の残り時間が気になるようになってきました。人生の残り時間を有効に過ごしたい、充実させたいからこそ、過去は断捨離によって昇華させて、積載量軽めにして、残り半分を切ったであろう人生を過ごしたい。
(本投稿の執筆時間 50分)