常時「がんばる」仕事はやめて、ここぞという時だけ「がんばる」仕事を。

がんばらなければならない時は、確かにある

人生には「がんばらないこと」や「リラックス」が必要不可欠です。

常時がんばってしまうと、疲労やストレスがなかなか取れず、疲れ切ってしまいやすくなります。病気になりやすくなるともいえます。

しかしながら、仕事においても人生においても、成果を出したり、難局を乗り越えたりするために、がんばる必要が生じることがあります。

がんばる必要性が生じたとき〜「ここぞ」というとき〜に、集中してがんばれるよう、普段はがんばらないで、リラックスしておく必要があります。

ここぞという「いっとき」だけ、がんばれば良い

常時がんばるというのは、イメージすれば、下の画像のようになります。赤い四角はがんばりの発揮(投じているエネルギー)、横軸は時間軸です。持っているエネルギーの量は人それぞれながら上限はあるので、このように常時がんばってしまうと、エネルギーは早く切れてしまいます。

このように常時「がんばり」を求められる仕事は、仕事のやり方を見直して「がんばる」必要性を少なくするか、見直しても改善の余地がない、あるいは、そもそも向いていないと思ったならば、他の職場ないし仕事にチェンジすべきです。

なお、がんばりは、明示的に(上司や同僚から)求められなくても、職場の環境(人間関係や、職場空間の居心地など)が合わないがために、職場に属すること自体に「がんばり」を「余儀なくされる」されることもあります。そのような合わない職場もチェンジすべきです。

現代では、職場やチームの「心理的安全性」が求められるようになっています。心理的安全性が守られる職場を選ぶようにしたいものです。

一方、「ここぞというときだけ、がんばる」というイメージは、下の画像のとおりです(グレーの罫線は無視して参照ください)。

常時がんばるのではなく、がんばるときは、いっとき、ないし一点に絞られています。

「ここでエネルギーを最大限に発揮すれば、良い成果が得られる」と判断したところだけで思い切りがんばるのです。

そのためには、それができるよう、他の時間はエネルギーを温存するのです

職場においてリラックスする、力を入れないでタスクを順次処理するなどしてエネルギーの大きな消耗を防止するとともに、

職場外においては、睡眠、食事、運動を十分にして、エネルギーの回復と温存に努めます。

付言ながらはっきり言って、仕事は、プロスポーツと同じです。ビジネスパーソンは、大リーグやプロ野球の選手などのスポーツ選手と同じように、睡眠、食事、運動、勉強(運動と勉強はトレーニング)に十分な時間を充てる必要があります。睡眠を削って仕事(プロスポーツに当てはめれば、睡眠を削って試合とか試合の準備)は、もってのほかです。

常時がんばる必要のない方法や、仕事を見つける(探求する)

さて、常時がんばらない仕事の方法や仕事そのものは、思わぬところでパッと見つかることもありますが、かんたんに見つかるとは限りません。

常に、見つけようとする、探求することが必要だと考えます。

この点、マラソンやテレビドラマから、ヒントになりそうなことがあるので、以下に記します。

フルマラソンの大会でがんばるのは、30km以降のみ。

フルマラソンにおいて、最初から頑張ってペースを上げてしまうと、後半持ちません(完走できたとしても、ゴール後の疲労はきついし、怪我の可能性は高まる)。

完走できるのはもちろん、身体へのダメージがより少ない良いレースをするためには(無理なく十分なトレーニングを習慣にするのはもちろんとして)、スタートから30kmまでは、がんばってはいけません。

ラクなペースで走るよう、十分なレース計画(ペースの計画)を立て、その通りにレースを運ぶべきです。

それでも、30kmを過ぎると苦しくなってきます(苦しくなり始めは遠いほどいいのだが、なかなかかんたんではない)。その苦しくなったところからゴールするところまでがマラソンの唯一の頑張りどころです。ただ、ラストスパートをかけてはいけません。怪我のリスクが高まります。

30kmを超えないうちに苦しくなってしまった場合には失敗レースととらえていいです。レースまでの日々のトレーニングに無理があったとか、体調が悪かったとか、原因を考えましょう。

がんばらなくても、自然にできてしまうことは、才能。

いま、NHK BSのドラマ「船を編む〜私、辞書つくります〜」を観ています。

その主人公・岸辺みどり(池田エライザ)が、苦にすることなく自然に、モノを整然と美しく、おさまるべきところに収納できてしまうことから、辞書づくりの才能を認められています。岸辺みどり本人は、辞書とは縁のないところを生きてきたため、ピンと来ず、言われたときには驚いていたのがとても印象的でした。

それと同様に、誰にでも、気づいているいないにかかわらず、意識することなく、苦にすることなく自然とできてしまうことがあるはずです。

それこそ、才能であり、強みです。

才能や強みを見出してくれるひとが近くにいるというのは、とてもありがたいことですが、そのようなひとが近くにいなくても、日々、自分のそのような「才能」とか「武器」はなんなのか、注意深く観察してみましょう。

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