誕生日に初めてフルマラソンを完走~横浜マラソン
42.195kmという、心の旅
昨日は私の45歳の誕生日でした。
誕生日、とくにこの人生後半のはじまりと言ってよい節目の誕生日というのは、冠婚葬祭に次ぐといって良いほど重要な日。
そのような日に、生育地でもある神奈川県の、横浜マラソンでフルマラソンデビューということに、強い縁のようなものを感じました。
走っている最中は、無心ではいられませんでした。それは私が弱いからなのかどうかわかりませんが、
「縦に過去から未来に向けて、横に喜怒哀楽が凝縮された」おせち料理のような42.195kmでした。
首都高を降りて、横浜港シンボルタワーの手前で折り返すルート「平らなのに、永遠に続く苦難のような」D突堤を、出たところくらい。残り5キロくらいと思いますが、思わず涙がこぼれそうになりました。
それは、苦難を乗り越えたから出た涙なのか、達成感の涙なのか、
人生は報われないことも多いけれども、はじめてのフルマラソン完走という「人生における大きな成果」を眼前にした、報われるということへの喜びの涙なのか、
そのなかのどれにも該当しないようで、どれにも該当するような。涙の理由をうまく整理できません。
今、ひとついえるとすれば、マラソンはよく言われるように、本当に人生と同じで「苦しくて楽しい、楽しくて苦しい」ものだと感じました。
さらに、走ることを通じて、リセットしたいという気持ちもあって、
”過去の嫌な記憶を、思い切り走りながら、振り切ろう!”
という一瞬も味わいました。
フィニッシュラインを超えたとき、やったーという完走への喜びもありましたが、おわったーという安堵の方が、大きかったと思います。
疲労がどっと湧いて出てきて、脚もガクガクでしたが、メダルをかけてもらったとき、さらには預けた荷物を引き取るときに、今日が誕生日で、はじめてのフルマラソンだったことをボランティアの方に告げて、お祝いの言葉を掛けていただきました。
2018年10月28日、45歳になったその日のことは、生涯忘れることはないでしょう。
完走メダルは最高の誕生日プレゼントになりました。
「2018年」というのも不思議なもので、これを分解して組み立て直すと1028、誕生日になります。この日付が刻印された完走メダル、終生大切にしたいです。
さて、フルマラソンというのは、ざっくばらんにいえば「やれば、できる」もので、もう少し詳しくいえば「十分に準備(トレーニングや勉強)をして、自分なりに取り組めばだれでも完走できる可能性をもっている」(小児喘息持ちで虚弱体質だった、現在でも同世代の平均以下の体力、筋力、持久力と思っている私でも完走できましたから)ものと思いました。今後しばらく、横浜マラソンを振り返る投稿をします。
マラソンをこれから始める方の参考に少しでもなれば嬉しいと思い。