公認会計士試験の記憶

公認会計士試験(当時2次試験)の勉強を始めたのは、1997年4月、23歳のときのこと。今年でちょうど20年(もう20年前のことになってしまいました)。

初めて受験したのは翌年5月の短答式試験で、これに運よく合格し、7月の論文式試験に向けて猛ダッシュできたものの、本番での手応えが鈍く、最後の一科目の一文字を書き終えるまで諦めなかったものの、終わって「これはダメだ」と感じ、試験明けも長くは休まず、翌年の試験に向けて、すぐに専門学校(2次試験では大原簿記学校に通いました)の「上級完成」講座(受験経験者向けの授業)を受講しました。この、ある意味では「鉄がまだ熱いうちに打った(勉強を再開した)」ことが奏功したのか、99年の2次試験は何とか、合格を果たすことができました。

当時の2次試験の科目は、短答式が簿記、原価計算、財務諸表論、監査論、商法の5科目。論文式が短答式の5科目に加えて選択科目3科目(民法、経済学、経営学)のなかから2科目、民法と経営学を選択して、合計7科目。

当時の日本の三大国家試験(公認会計士のほかは、司法試験と医師国家試験)の一つだけあって、勉強量は膨大で、専門学校の教材だけでも段ボール箱2箱分はあったと思います。一念発起して受験勉強に走ったののの、不安はいつも頭をよぎっていました。

「本当に合格できるのか?」
「合格できないんじゃないか?」
「合格できなかったら、会社も辞めてしまったし、どこにも就職できなくなってしまうのではないか」

不安を抱えながらというより、不安に打ち負かされそうになるのが常でしたが、振り返れば、
勉強と休み(遊び)のリズムをうまくとることによって、
さらには、
勉強中も答練中も試験中も「超集中」することで、
なんとか打ち負かされないで済んだような気もします。

受験勉強中は、月曜日から土曜日までは勉強し、日曜日は勉強しないことで、最低限の休みないし遊びの時間をとっていました。

さらに、朝9時から勉強し(早朝答練のある日は答練開始の朝8時から)、夜も9時には勉強を止めました週の半分はそれより早めに勉強を止めていたと思われる。専門学校の授業が確か夜9時までだったのに合わせたと思われる)。

食事も、規則正しくだいたい決まった時間に3食摂っていたように思います。

勉強量は膨大ながら、疲労困憊するまで勉強すべきではないと本能的に思っていたみたいです。

試験合格後に監査法人や税理士法人に勤務していた頃に比べると、はるかに規則正しい生活を受験時代には送っていたように思います。これで、勉強と休みのリズムがうまく取れたような気がします。

勉強中も答練中も試験中も「超集中」できたのは、開始時間と終了時間を明確に決めていたことによると思います。そもそも、試験には制限時間があります。時間を制限することを明確に意識したわけではなく、試験に制限時間があるから、勉強時間も無意識的に制限したのではないかと思います。一方で、膨大な勉強量を少しでもラクに=効率的にしたいと本能的に思ったらしく、得意になった科目は得意さをキープするよう最低限の勉強時間を確保し、苦手な科目は克服できるよう、時間制限はあるも多めに確保しました。例えば、得意になった簿記や原価計算は、一日に1時間とし、苦手だった財務諸表論は一日に3時間という感じで。

さらに、時間を区切るとともに、休憩も一定時間ごとにうまく取れていた感じがします(記憶が美化されてしまっているかもしれませんが)。60分に10分か、90分に10分や休憩していた気がします。

一日の時間の使い方においても、勤務していた頃、のみならず今と比べても、かなり規則的でリズミカルだった感じがします。集中しやすい時間管理ができていたような感じがします。

もっとも、受験は他人との闘いである以上に、はるかに自分との闘い。試験場ではだれも助けたり、手伝ったりしてくれず、ひたすら自分の力で問題を解くしかなく、受験勉強においても、勉強の方法や、意味の解説や理解の方法については先生から教えて頂けるものの、それをモノにするのは自分しかいません。一方で、職場のように突然電話が鳴ったりするなどのじゃまも入らず、集中できる環境でもありました。

今、公認会計士試験の記憶を振り返る投稿をしているのは、時間管理の在り方を受験勉強の経験から学んでみてはどうかという、内なる提案のように感じています。受験と仕事では内容も取り巻く環境も違うものですが、時間を制限するとか、一定の時間には休憩をいれるとか、仕事をしない時間帯や日程を設けるなど、仕事に役立つ受験勉強のノウハウもあると感じています。

(写真と本文とは直接の関係はありませんが、写真は公認会計士のバッジです)

(本投稿の執筆時間 60分)

 

 

 

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