時間は長さだけではない。重さも濃さもある。
目次
はじめに〜年齢と体調、時間への関心を強めたきっかけに
40代終盤だった2022年の夏から昨年の春まで、断続的な体調不良に悩まされ、昨年の秋・10月に50歳の誕生日を迎えました。
40代前半までにしていたような、(公私にかかわらず)睡眠時間を削ったり、飲み過ぎたり食べ過ぎたりするなどといった無理はもう効かないなあと実感しつつ、半世紀生きてきたことと相まって、人生も後半に入ったこと、否応なく実感させられました。
そして体調不良を経て人生が後半に入ったことで、人生の時間には限りがあるということを、認識せざるを得なくなりました。
人生の時間には限りがあるから、時間は大事にしなければならないことも、より腑に落ちました。
時間を大事にしなければならない、大事にしたいと思ったからこそ、時間に対する関心が強くなってきました。
(合わせて、時間と密接に関係する健康についての関心も強くなってきています)
長さだけでは測ることのできない「時間」
さて、時間は、時計やストップウォッチでその大きさを、長さとして測ることができますね(1秒、1分、1時間など)。
しかしながら、この「長さ」だけでは評価できないところが、「時間」というものの興味深いところだと思います。
時間の「重さ」
まず、時間には「重さ」があります。同じ「長さ」でも、例えば、重たい1分もあるし、軽い1分もあります。
人間関係でもタスクでも難局に差し掛かったり、できることなら逃げたいことに向かわざるを得なくて向かっている時には重たく、何もしないでぼーっとしている時には軽いと感じられます。
時間の「濃さ」ないし「密度」
また、時間には「濃さ」ないし「密度」があります。濃密な1分もあるし、薄い1分もあります。
ヨガで綿密に身体を動かしながら呼吸に意識を集中させているときは、濃く、ルーティンワークとか日課をこなしているときは薄く感じられます。
また、初めての旅先に行ったときなどには特に、濃い時間に感じられます。もしかしたら、濃過ぎて消化するのが追いつかないかも知れません。
時間の「エネルギー」ないし「強弱」
そして、時間には「エネルギーないし力の強弱」があります。力強い1分もあるし、力の弱い1分もあります。
集中力といってもいいかも知れませんが、これは、体力と精神力ー健康状態ーが特に影響するものといえるでしょう。
趣味でも仕事でも力強く集中している時間もあれば、疲労が溜まっているときなど集中力が発揮できない時間もあります。
エネルギーレベルが高い、力強い時間というのは、高いパフォーマンスや深い満足感を得られます。
そして、時計で測れる「時間」も、何と、止まったり伸びたり縮んだりする
そして、同じ1分とか1時間とかの長さでも、体感的にですが、止まったり伸びたり縮んだりします。瞬く間の1分もあれば、永遠に感じられる1分もある、といった感じです。
新幹線で車窓を眺めているときの1分はあっという間であり、マラソンで苦しくなってきた30キロ過ぎは平地であっても、1分が限りなく長く感じます(苦しい分、同じ距離でも長く感じるということでもあります)。
村上春樹さんの小説で表現されている「時間感覚」が興味深い
最近は、村上春樹さんの小説にはまっています(これについて詳しくは、今後のブログテーマとします)。
村上春樹さんにはまる要素はいくつかありますが、「時間感覚」は最たるものです。
時間の停止、時間の歪み、時間の色彩、時間の形状、時間の強度など、時間というものの多彩な表現形態がとても興味深いのです。頭脳で咀嚼しながら、うーんと唸ってしまうこともあるくらいです。
さらに、「時の試練」を受け、それに耐えることを念頭においていらっしゃること、とても尊敬します。
村上春樹さんの作品を読んでいる時間は、濃密で、時々重い(嫌な感じのする重さではなく、格闘したくなる重さ)です。
コーヒーの多彩なアロマやフレーバーのように、芳醇な文章の世界がそこにはあります。何年かかかりますが、全て読了したいと思っています。
