麻生区の街は「人生を懸ける街」として選ばれるか?

はじめに

(着ているTシャツは、初期の頃のボランティアTシャツです)

川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)実行委員会から、長期にわたってボランティアとして従事したことにつき、感謝状を授与されました。

確かに、2011年(第3回目のアルテリッカ)にボランティアとして初めて従事しましたが、単発で、数日継続して関わることはほとんどなく、従事しなかった年もあって、「毎年継続して、連日連夜従事した訳ではないのに表彰されていいのか!?」とも思いましたが、この街での良い想い出のひとつとして、感謝して、感謝状と記念品を受け取りました。

アルテリッカしんゆりは今年で10回を迎えました。今回はボランティアとしては1日のみ従事。初期のころに比べると、ボランティアの人数と熱気は、確かに増していました。お客さんとしては、梵天の和太鼓のライブをテアトロジーリオショウワで鑑賞、新百合ヶ丘に不足している(と私が思っている)「太鼓のビートが発する、祭の熱いエネルギー」を全身に感じたところでした。

さらに今回は会期中に「新ゆりパン祭り」「フードフェスinアルテリッカ」も開催され、ものすごい人出がありました。今後もアルテリッカは20回、30回と重ねていくことでしょう。地元・川崎市麻生区を代表するイベントのひとつになったと感じました。

人生における「場所」=「街」の重要性の高まり

さて、最近はどこの市町村でも「まちづくり」「コミュニティーづくり」が盛んであり、特にアメリカ・オレゴン州ポートランドのような「創造都市(creative city)」「環境先進都市(leading sustainable city)」「寛容な都市(tolerance city)」「健康な都市(healty city)」を目指して、様々な取り組みがみられます。

さらには、日本においても働き方がだんだんと変わって、会社に常時従属・固定される人生から、会社に拘束されない、フリーな働き方へとシフトしています。アメリカのように日本もフリーランス人口が増加することが見込まれています。

そうなると、これまでの時代の人間の人生においては、ウエイトが圧倒的に「会社」で占められていたところが、今後は会社以外の要素、特に「場所」=「街」や「地域社会」のウエイトが増していくことになります。

私が就職活動をしていた1995(平成7年)は「街」や「地域」よりも、今後就職する「会社」に力点を置いていました。どの会社に勤めたいか、もっというとどの会社に人生を懸けたいかを、決めるための活動であったと思います。

しかし、その後間もなく、終身雇用は崩れ去りました。会社は、人生を懸けたり預けたりする場所では無くなりました。

今、就職活動をしている学生は「会社」よりも「職」に力点を置いているように思うこと、さらには、私が学生の頃よりも「起業マインド」が強いように感じています。

今や人生の時間の大部分を費やすのは「会社」ではなく「場所」になってきたのではないかと感じています。場所とは「仕事の場所」であり「人生を送る場所」、「街」や「地域社会」です。

今では、自分の大切な人生を懸ける先が、「会社」から「街」「地域社会」にシフトしている時代といえます。

それでは、我が地元、川崎市麻生区というところが、人生を懸けるに値する街になるにはどのような要素が必要か、まとめてみました。

「麻生区に人生を懸けたい」と思われる要素とは

仕事〜十分な量の仕事が生まれるか、起業しやすいか

仕事に就いてはじめて、生計を立てられ、食べることができます。現状でも東京一極集中が続いていますが、東京一極集中が進んでいるのは、単に東京が魅力的な都市だからという理由だけではなく、十分な量の仕事が存在するからといえます。

街や地域の自然環境が良いというのは選ばれる要素として、ごく当たり前と言えますが、いくら自然環境に恵まれていても、十分な量の仕事がなければ、生計を立てることはできません。

さらには、仕事が生まれる前提として、起業しやすいかどうかは重要です。起業しやすいということは、失敗のリスクをとって何度でもチャレンジできる環境が整っていて、失敗に対して寛容であることを意味します。

日本は失敗を許さない文化が根強いと私は思っていますが、起業に失敗はつきもの。失敗に対して寛容で、失敗することが奨励されるくらいの方が、起業しやすい環境と言えます。

失敗から学んでアクションを起こして再び失敗して学び続けて成功にたどり着く、ということがやりやすい地域の方が選択されやすいと言えます。

ひと〜多彩、多様、魅力のある多くの人と出会えるか

街や地域に集まるひとたちが、多彩で多様で魅力があることが重要といえます。

日本は、日本民族が大部分を占めることもあって、同調圧力もあれば均一化、均質化を暗に求められることもままありますが、同じような価値観を持った人たちだけの集まりは、刺激に欠けるきらいがあり、イノベーションが起こりにくいのではないかと思います。

新百合ヶ丘に対して、正直、不足を感じる部分として「多様性の不足」があります。

高校や大学を卒業した独身男女が少なく(独身男女は23区に集中する傾向がある)、小さなお子さん連れのファミリー層がマジョリティーになっているところに、独身男児の私としてはある種の「居心地の違和感」を感じてしまうことがあります(いわゆる婚活はしない私ですが、恋愛の相手に地元で出合うのは困難なため、出会いばかりが目的ではありませんが、様々なところに出かけたり、旅をします)。さらに、外国人、海外旅行客がまだまだ少ないと感じます。この点は、英語をはじめとする外国語での情報の発信によって、外国人や海外旅行客に地域の魅力を発信する必要がありそうです(小さなお子さん連れのファミリー層ばかりの街というのはそれはそれで、個性的でエッジが立っているのかも知れませんが)。

子どもの立場から見れば、親、兄弟姉妹、親類以外の多様な大人たち、子どもたちとの出会いがあることも重要だと考えます。多様で多彩な人の魅力に触れて、子どもが育っていく環境こそ、ベストの環境ではないかと思います。

地元でいえば「つながる朝市@カナドコロ」や「Vege&ForkMarket」、同じ神奈川県内の「逗子海岸映画祭」を眺めて思うのは、イベントをつくる大人たちやアニキやアネキのクールなアティチュードを感じながら子どもが育つというのは、子どものクリエイティビティや遊びゴコロを育む、最高の教育環境ということです(決して、塾や受験勉強ばかりでは、子どもは育ちません)。

コミュニティー〜顔の見える関係を構築しやすいか

最近特に話題になっているコミュニティーづくり。単に緑が多いとか、交通の便が良いとか、空気がきれいというだけでは、もはや足りないといえます。街とは人であり、コミュニティーという時代になっています。

チェーン店ばかりで、そのお店で働く人の個性が感じられない街は、今後は選ばれにくいでしょう。まして、始まってきているAI時代、コンビニやチェーン店のようにマニュアル化された接客業務は、ロボットに代替されます。すでに中国では無人のコンビニが稼働しているようですが、日本においても無人のコンビニは必ず登場すると思われます。

その街のひとと合うかどうかが、フィットしたコミュニティーが存在するかどうかが、街の選択のポイントになるような気がしてなりません。良好かつ円滑、円満な近所づきあいのできない街は、居心地が良くありませんし、面白くありません。

人間関係がうまくいかないから会社を辞めるという例も多々ありますが、今後は、人間関係が上手くいかないから他の街に引っ越すという選択も増えるでしょうし、人間関係を持ちたいから、人間関係を持てそうな街に引っ越すという選択も増えるでしょう。

麻生区においては、シニアのコミュニティーと、ママのコミュニティーは大変充実してきていると感じますが、独身男女やパパのコミュニティーとなると、都内や湘南、横浜に依存せざるを得ません・・・

終わりに

新百合ヶ丘一極集中になってしまうのはいかがなものかと。

新百合ヶ丘というところは、全国的な地名度も増し、新百合ヶ丘と言えばわざわざ新百合ヶ丘がどんなところか詳細に説明せずとも、会話が成立するようになりました。

しかし、新百合ヶ丘近隣にあって、新百合ヶ丘と関係の深い街、百合ヶ丘や柿生、岡上、早野、小田急多摩線沿線の五月台、栗平、黒川、はるひ野については、新百合ヶ丘と比べてしまえば見向きもされない状況です。

日本人は一極集中が好きな民族なのかも知れませんが、日本において地方創生に取り組むごとく、川崎市の麻生区においても新百合ヶ丘以外の地域の創生を図る必要があるように感じています。

17万7千人のココロと力が合わされば!

とても主観的なのですが、例えば逗子は、住民の結束力が強いように感じます。

2016年から通っている逗子海岸映画祭の風景をみて感じました。例えば、映画祭のチンドン屋さんが、逗子駅前の(逗子のおみやげの)マルシェの中を行進してPRしたり、逗子海岸映画祭の会場前で映画祭以外のアートイベントのフライヤーを配布したりと、映画祭をハブとしたゆるやかで確かな地元の人たちの結束力をみました。

根底に「逗子が好きだから逗子に住んでいる、逗子で働いている」というマインドセットがあるからだと思います。

川崎市麻生区の人たちの文化や感性のレベルは、決して逗子をはじめ、鎌倉や葉山、湘南、横浜など神奈川の主流の地域に劣るとは思えません。

しかし、地元のひととひとのつながり、結束力という点では、まだまだ追いつく余地が大きいと思っています。

今後、しんゆりフェスティバルマルシェも始まり、しんゆり交流空間リリオスの稼働率も上がって、新ゆりパンまつりも2回目の開催が期待されるなどイベントの仕掛け人も増えると見込まれます。増えていく様々なイベントを通して、麻生区の爆発力がいよいよ表面化すると思っているのは、私だけではないでしょう。

(本投稿の執筆時間 120分)

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