商売は本能。商売する力は誰にでも必要に。

はじめに

今朝の日経

今朝の日本経済新聞の一面コラムは興味深く読みました。「一億総『商人』時代」

何か買うときでも、売ることを計画して買ったり、シェアリングする(賃貸する)ことを計画して買う。自分の空き時間を専門的なサービスを提供するために販売するなど、スマホの活用やITの進歩もあって、実に様々な物財を「棚卸資産」として販売する人が増えている、という趣旨の記事でした。

この「一億総『商人』時代」というのは、このところ常々思っていたことにつながっています。人間は雇われるために存在するのではなく、自ら商売人として商売するために存在するということ。人間は生来的に本能的に誰でも商人であること。働くということは本来雇われることではなく、商売人として会社と対等な立場で会社を相手に商売すること。商売とは本能なのです。

今よりもさらに未熟だった大学生時代まで、会社に入って働くことが人生の目的のようにとらえていました。会社には従属するものであり、命令に従うものであり、会社に従属することで食べさせてもらうという考えを持っていました。

振りかえると、せっかく慶應のSFC(湘南藤沢キャンパス)という「未来を創るためのスキルを養う」キャンパスで勉強したのに、自分で販売するモノを「創る」というスキルや、相手が偉い立場の人でも対等に交渉するスキルを磨いてきませんでした。

就職すると、ただただ、会社と社会に流されるだけでした(最初に勤めた会社は、長時間残業と威圧的な雰囲気になじめず、公認会計士試験との両立が不可能に思われたため、辞めましたが)。

日経の一面に「一億総『商人』時代」と目立つように見出しが出ること自体、私も含め、意識の変革が明確に求められているといえます。

会社に入るか独立するか以前に、そもそも社会にでたら一匹の商売人として、渡っていく必要があるということです。

幼児教育から商売人ないし起業家を志向する教育を

2005年、私は当時勤めていた監査法人を退職して、地球一周の旅に出たのですが、その際に、インドに3週間滞在しました。タージマハルを見ようと、アーグラーという街に行ったときのこと、小さな女の子が、必死になってお土産(アクセサリーだったか、置物だったかだと記憶します)を売ろうとし、追いかけてきました。私が「No, thank you.」と言っても執拗に追いかけてきました。

まだ小さな子どもなのに、外人観光客を相手に商売をする境遇にあるのは、とても悲しいことだと思います。

しかし一方で、小さな子どもであってもくじけずに、売れるまで粘って行動を続ける、そこに商売人としての「実地教育」も感じ取れます。いまではおそらく18歳くらいになっていると思いますが、商業力をしっかり身につけて逞しく成長したと信じます(どうか、元気で生きていてほしい!)

小さな子どもに労働を強制してはいけないのは、言うまでもありません。しかしながら、やがては大人になり商売の道に進みます。商売の道と書きましたが、作家や歌手や画家や作曲家や俳優のような芸術家であっても売れなければ食べられない以上、商売人です。商売のスキルを、幼児教育の時点から訓練できる教育機会を設ける必要があるといえます。

モノやサービスのつくり方は、お絵かきや工作で訓練できるでしょうが、売り方、お金の管理の仕方と、既存の科目のなかに巧みに商売のスキル習得方法を結び付けていく必要があります。

会社人間の近代工業社会から個人のタレントで商売する社会へ

これまでの学校教育は、どちらかといえば、規格大量生産の近代工業社会向け、すなわち、大きい会社に入ってから、会社員として上手に上層部の命令に従って、職務を遂行する「優秀な」人材を輩出するためのものであったといえます。しかしながら、今後の学校教育は、そうではなく、

  • 社会に革新(イノベーション)を起こせる人材の育成
  • 既存の価値観、倫理や美意識を疑い、新たなそれを提起できる人材の育成
  • 少なくとも高等教育を修了する時点で、相手がいかなる偉い立場の人であっても、物怖じすることなく対等に話せる人材の育成
  • 相手が上場企業のような大企業であっても、対等に商売できる人材の育成
  • 経営者として才覚を発揮できる人材の育成

が求められると思っています。規格大量生産をするのではなく、個性と創造性と商業力の発揮のためのスキルです。

これらは、今でもビジネススクールなどでは習得できるのでしょうが、ビジネススクールまで待つことなく、幼児教育から初等中等教育へと展開すべきと考えます。

以下、商業力をさらに細分化し、3つの能力を書きます。

技術力(売るモノを具体化する)

売るモノを決めることです。さらには、何が売りものになるのか、自分の中にあるもの、才能や、自分のまわりにあるものに気が付くことです。

前述したとおり、お絵かきや作文、工作など実際に体を動かしてつくる作業で培えるものです。

しかしながら、つくっただけでは売れません。つくったものは評価されなければなりません。

日本の学校教育では、先生が児童・生徒の作ったものを評価しますが、今後はそれにとどまらず、児童・生徒がつくったものを、クラス内外の児童・生徒、地域の住民、一般の人にもアクセスしてもらって、感想をフィードバックするような仕組みが必要ではないかと思います。

つくったものの感想のフィードバックを受ける仕組みをとおして、さらによいものをつくろうとする原動力にしていくことです。

営業力(売れるための活動をする)

つくったもの(仕入れたものも)を、いかに売るかの仕組みを見つけたり作ったりし、実際にやってみます。

現状、スマホのフリーマーケットアプリやシェアリングアプリで、売るための仕組みを使いやすくなっています。

さらに、昨日のブログにもリンクしますが、自分と自分の提供するサービスの発信を継続することも重要になってきます。

チラシ、フリーペーパーなど紙媒体の広告など、様々なPR手段がありますが、いろいろ試して自分にあったやり方を採用し続けるといいと考えます。

経理力(収支、採算と再投資を考え続ける)

売れても、損してまで売ってしまっては意味がありません!

幾らの利益がでたか、利益率はどうか、経費削減の余地はないかを常にモニタリングします。

得た利益は、プールして、次の再投資(新たなサービスの開発や、営業ボリュームの増加など)に備えます。

収支と採算を常に見て、再投資可能な仕組みをつくらないと商売が成り立ちません。この力が経理力です。

数字が苦手という人が少なくありませんが、数字が苦手な商売人で商売が長続きしたという例はあまり聞きません。商売をうまくやっている商売人は、どこかで必ず、数字の苦手意識を克服して、経理力を強めています。

利益を考えることに罪悪感を持つのは大きな誤りです。利益にともなう現金をどう使うかは、いつも真摯に考えなければなりませんし、粉飾はもってのほかですが、まっとうに利益を考えるのは当然なこと、正義です

日本公認会計士協会では「ハロー会計!」という会計の出張授業を展開していますが、そもそも小学校の算数のうちに「損益計算」を考えたり、実際にやってみる仕組みを入れてみてはいかがでしょうか。

終わりに

商売人のスキルとして「技術力」「営業力」「経理力」をざっと触れました。

中国にはすでに無人のコンビニがあり、スマホをかざして中に入り、スマホをかざして精算し、精算が終わらないと外に出られないというしくみのようです。

私は、日本に多数あるチェーン店やコンビニは、5年のうちにほとんど、無人になるのではないかと感じています。急激にテクノロジーの利用が進むのです。

定型的な仕事で占められるチェーン店やコンビニでいつまでも働くのはどうかと思います。長くても3年くらいにしておいて、チェーンやコンビニの仕組みを理解したら、早く辞めて、創造性を発揮できる仕事を始めるようにする必要があると考えます。

人間にとって商売は本能。定型的な仕事を繰り返すだけの人生ではもったいない、自分の才能を遺憾なく発揮しましょう!今はそういう時代です!

(本投稿の執筆時間 90分)

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