こうありたい!と思う人のブログを最初から根こそぎ読んでいます

こうありたい!

この人みたいになりたい!

という人の書いているブログを、最初から根こそぎ読み始めて、そろそろ1年分になります。

すき間時間に読んでいるので、1年分読むのに、1ヶ月半以上かかってしまっています。

この分だと、今日までの、あと9年分読むのに、あと1年以上はかかってしまいます。ブログを毎日更新している方なので、毎日読むべき記事が増えていくので、追いつくのにはもっとかかりそうです。

もしかしたら、10年前に会っていても、20年前に会っていても、こうありたい!この人みたいになりたい!と思えた可能性もありますが、人間は10年、20年全く不変ということは無いと思いますので、今この瞬間に比べれば、違った感情を持つと思います。

昔の友人・知人に再会すると、変わってないなあ〜とはよく言われますが、それは、昔の友人・知人と接していた時のモードに、一時、戻るからであって、このモードというものも、10年、20年経てば、当時とは異なる多種多様なモードを身につけていると考えられます。

さておき、今この瞬間に「こうありたい!」と思えるようになるに至った、経緯を追いかけることで、その人のことを深く知るとともに、自分との違いを分析したり、さらにその人がやってきたことを自分もやってみる〜エッセンスを取り入れる〜ために、ブログを読んでいます。

確かに、幼少期からもともと持っていた才能や、幼少期にもともと触れていた環境が現在の土台になっていて、自分とは全く異なる幼少期としても、

考え方や行動様式や出会った人、読んだ本、聞いた音楽、触れた出来事、行った旅先などを追いかけることで、

どのようにその人が成長したり、変わっていったかも、ブログを読み進めれば、理解できる、ブログを読み進めることで、その人のことを深く理解できると思いながら読み進めています。

ブログを根こそぎ読むというのは、小学生が伝記を読みふけるようなものでしょうか。

ブログはもしかしたら、伝記の役割もあるのかもしれません。

私は、読書が嫌いな小中学校時代を送っていましたが、中学校時代に童門冬二「福澤諭吉」を読み、上野で彰義隊が戦っていて大砲の轟音が聞こえる最中であっても、三田の慶應義塾で塾生を鼓舞しながら授業をしているシーンに感動したものです。福澤諭吉先生の情熱に触れたような気分になりました。

今読んでいるブログは「情熱的」というものではありませんが、憧れの人を深く知って、エッセンスを取り入れるというところで役に立ちつつあります。

(ちなみに、大学生になって、堺屋太一「風と炎と」を読んでから読書に目覚めました(しかし、フォトリーディングのような高度かつ速い読書法を身につけていないのですが))

(本投稿の執筆時間 38分)

 

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