「取られる」意識を取り除くのも、会計・税務のプロフェッショナルの役割

今日から17日(金)まで「税を考える週間」

今朝の日経に一面広告で日税連の広告が掲載されていました。

もっとも今日からの1週間は、普段税金について考えない方にも税金について考えていただけるよう、特別なキャンペーンが展開される1週間です。

我々会計税務のプロフェッショナルや、日々損益や資金繰りと向き合う企業やお店の経営者、フリーランスにとって、税金について考えるのは習慣です。税を考える習慣がついています。

企業経営の現場では税を考えるだけでは足りず、損益、貸借、資金繰りを税とセットで常に考えます。

むしろ、民主主義で国家や自治体を運営し、その運営資金を税金で賄っている以上、国民全員が税を考える習慣を身につけた方が良いような気がします。

我々は18歳になると選挙権を行使して国会議員や地方議員を、議会に送り込むことができ(消費税は18歳未満でもお店などに払いますが)、その議員の「安いとは言えない」給料の原資は税金です。税金からもらう給料に見合った働きを、議員がしているかについて評価することは税金を考えることにつながります。

さらには、警察や消防や救急、ごみの収集も税金を活動原資としているので、税金は日常生活に深く関わっているとも言えます。専門家や経営者に限らず、税金を考える習慣をつけた方が良い気がします。

さて、世間では、税金を「取られる」「持っていかれる」という言葉をよく見たり聞いたりします。

法人税法や所得税法、消費税法、相続税法、地方税法といった法律(税法)で課税されることが定められ、課税には国家や自治体による強制力を伴なうため、心情的に「取られる」という気持ちになってしまう、その気持ちはやむを得ないものを感じます。

さらに、サラリーマン(会社勤め・雇用されている)であれば、源泉徴収や年末調整という形で、会社が税金を計算し、天引きし、税務署に納めます。サラリーマン自身が自分で計算して納めることがないので「取られている」という感覚が強く残るものと思います。

(私は、源泉徴収制度をやめて、サラリーマンであっても自分の税金は会社に計算してもらうことなく、自分で計算し自分で納める方が良いと思っています。その方が、納税者として、主権者としての当事者意識が強まります。今後は、フリーランスや複業するサラリーマン(会社勤めをしながら自分の会社を持ってビジネスをする、あるいは個人事業をする)が増え、自分で税金を計算する機会が増えていくので、源泉徴収制度をやめてもそれほど支障はなくなるような気もします。)

しかしながら、税法は、我々が選挙で決めた国会議員や地方議員が議会で決めることから、一方的に押し付けられるというものではなく、国家や自治体との契約 〜国家や自治体を町内会に例えれば町内会の会則とか規約にあたる〜 といえます。

感覚的に「取られる」と感じるのはやむを得ないとしても、実際には税法(という契約)に基づいて、会費のように「納める」ものです。そもそも「納税」って言います。国も地方自治体も、泥棒や強盗、ぼったくりではないはずです。

ところが、税法という法律は、万人が容易に読める法律とは言えず、税理士や税理士資格を持つ公認会計士の専門的知識や経験を要することが少なくありません。

なぜこれだけの税金が発生するのかには、必ず論拠(理由)があります。その論拠とは税法と事実の認定(事実を裏付ける証拠とその解釈。解釈には合理性が重要である)によります。論拠(理由)なく課税されることはありませんし、あってはなりません。

税理士と公認会計士という会計・税務のプロフェッショナルは、課税の論拠をわかりやすく説明することを通して、税金を「取られる」という意識を除去し、合理的に税金が計算されていることを理解してもらう、さらに、税金が論拠を持って合理的に計算される社会を維持継続する一助になるという、社会的使命も持っています。

時としてプロでも難解な場合もある課税を、よりわかりやすく説明することを、私も常に心がけております。「取られる」感覚から「納める」という能動的なアクションへ。

(本投稿の執筆時間 75分)

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