小笠原に行き始めて10周年(1)

母島・CAFE MAMAYAにて

10年前と同じ日程で小笠原へ

先月、夏季休業中の7月8日〜19日、小笠原を旅していました。

小笠原を初めて訪れたのはちょうど10年前、2009年の7月8日〜19日。今回の「帰島」は10周年記念の節目の「帰島」でした。

さて、10年前は、勤めていた監査法人を、うつ状態が長引きなかなか回復せず、辞めていて、無職の状態でした。通院もしていましたが、どこかに旅行に行きたいなと思い、南の島のビーチで海を眺めながらのんびり過ごしたいと思い、ネットで検索し、小笠原を見つけました。

さらに、それ以前から旅行でユースホステルを利用したことがあったので、小笠原でもユースにしようと思い、ホームページにたどり着いたところ、

1週間以上のフリータイムを獲得して“さあ、何をしようか”と思ったあなた、迷わず“Bonin Islands” 「小笠原諸島」へ旅立とう!小笠原ユースホステルのHPより引用)

このひとことで「小笠原に行こう!」と決意しました。

小笠原に行く交通手段は、今も当時も「おがさわら丸」という客船のみで、航空便はありません。当時の「おがさわら丸」は、東京竹芝から父島まで25時間30分かかっていました。朝10時に竹芝を出発。翌日11時30分に父島に到着します(現在は、2016年7月に就航した3代目おがさわら丸により、竹芝から父島まで24時間となり、1時間30分短縮している。竹芝11時発、父島着翌日11時)。

私は車、バス、船には酔いやすい(電車と飛行機にはほぼ酔わない)ので、船酔いが心配だったのですが、7月は例年海況が穏やからしく、はじめてのおがさわら丸の長い船旅では、船酔いをせずにすみました(たしか、酔い止めは飲んでいなくて、航海中は長めに寝ていた)。

竹芝を出発した翌朝、海の色が違います。青さに見入りました(今も見入ります)。

近づく父島二見港(これは2009年ではなく、2019年7月9日)
父島二見港に着岸寸前、様々な宿のお出迎えが(2019年7月9日)

二見港に着岸し、初めて父島に降り立ち、小笠原ユースホステルのプラカードを見つけ、ユースホステルのヘルパーさん(ユースホステルやゲストハウスでは、住み込みで働くアルバイトを「ヘルパー」と呼ぶことが多いです)に話しかけようとしたとき

「お帰りなさい!」

と言われ、???となりました。

「いらっしゃいませ」「はじめまして」「こんにちは」ではなくて???と。

しかし、この「お帰りなさい!」の意味、後になって理解できました。今ではすっかり「お帰りなさい!」と言われたら「ただいま(戻りました)!」というのが習慣になりました。

小笠原への旅を重ねて、小笠原という場所が「帰るところ」になったのです。帰るところだから小笠原への旅を「帰島」と言っています。

今や小笠原は魂の故郷、Bonin Islands are spiritual hometown. です。

(本投稿の執筆時間 60分)

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