6月といえばジューン・ブライド〜結婚観について

(梅雨間近。今後はビニール傘を使わないことにしました。ビニール傘は安く、手に入りやすいですが、個性を出しにくいうえ、雑に扱いがち(乱暴に扱うとか、忘れがちになるとか)。お気に入りの柄の傘のほうが愛着も湧いてくるし、雨の日の気分を少しではありますが、高めるといえます。傘もファッションの一部、です)

はじめに

振り返れば、5月にブログを継続できなかったのは、非常勤の監査業務がタイトで、疲労も相当溜まって、ブログに振り向ける気力がかなり低下していたこともありますが、そもそもブログを書くことが、十分に習慣化できていなかったことが大きい原因です。今月は、少しだけ自分に鞭を打って、ブログを土休日含めて毎日(30日間連続で)書くことにします。習慣化のための筋トレみたいなものです。

そもそも、ブログをなぜ書くのか、それは、単に営業・広告宣伝の一環におさまらず、次のような効用を見込んでいるからです。

  • 思考を整理する
  • 書くことで考えるトレーニングをする
  • 思考停止に陥ることを防止する
  • 自分の軸を作りあげる
  • ブログ執筆時点での、リアルタイムな自己を開示する
  • ネットを通じて、マーケットに、世界に、発信する方法や方法論を蓄積する
  • SNSと違って、書いた情報が蓄積される

社会派ブロガーのちきりんさんが、よくおっしゃることに「(仕事や人物が、会社などの組織内だけではなく)市場・マーケットで評価される」というのがあります。働き方は、今後、会社などの組織に雇われる雇用から、フリーランスなどのように市場に直接販売、取引する方向にシフトしていきます。その時に、市場に向けた自己表現の方法を磨いておかないと、仕事を得るのは非常に困難になるといえます。独立して5年を過ぎてしまってから自覚するのも遅きに失していますが、市場・マーケットを相手に仕事を得ていくスキルの一環としても、ブログによる発信活動は必要不可欠といえます。

本題、結婚観について整理してみる。

恋愛結婚によって結婚する方針です

どういうことかというと、マッチングサービスや結婚情報サービス、お見合い(サービス)のような、結婚という結果を希求、期待して、ないしは前提として相手と知り合いにいくことに、抵抗を感じるからです。

自然な人生の成り行きで、いつの間にかいつも一緒にいるようになり、気がついたら結婚生活に入っていた、というのが理想です。

自分の44年7か月にわたる経験から、自然発生的に起こったことは、うまくいくという持論があります。

恋愛結婚以外の結婚は、自然発生的ではない、作為的、統制的なものをとても感じてしまい、私は抵抗を覚えます。

さらに、恋愛は、感性を磨くものだと捉えています。

好きになった女性とは、感性が合うのか、どんな部分がより好きで、どんな部分が相容れなくて、どんなところで共感できるのか、どんな味や、香り、見え方、聞こえ方、感触の違いがあるのか。

恋愛というプロセスを十分に経ることによって、フィーリングを確かめあいながら、感性を磨いていく、リベラルアーツとしてお互いに学んでいけるものと私は思っています。

結婚情報サービスやお見合いサービスを利用しない。

そうしたサービスに有限な経済的資源であるお金を投じるのは、無駄だと私は思っています。そういう余資があるなら、読書したり旅に出たり芸術に触れたりした方が、はるかに有効なお金の使い方だと思っています。

もちろん、彼女にご馳走するのにお金は使います。彼女にご馳走するのと、結婚情報サービス等にお金を使うのは、根本的に違うものです。

人間も大自然の一部。野生動物と同じように生きる。それは結婚も同じ。

そもそも、野生動物の世界に「結婚情報サービス」のような、経済活動や企業体はありません。私は、人間も大自然の一部であり、本来は野生動物だと捉えているので、野生動物と同じような心構えで人生を送りたいと思うのです。

出会う努力もするけれど、最終的には大自然の力、神の配剤。そもそも結婚とは人智を超えるものである。

もちろん、出会う努力は続けています。しかしながら、結婚はそもそも人智を超えるもの。当たり前のことではありません。盛大に祝福されるに値する「奇跡」です。奇跡を起こすのにも努力は必要ですが、大自然の力に依らざるを得ません。神の配剤、ギフトといえます。

私はまだ、結婚という神様からのギフトを、託されていません。託されていないなりにも、日々謙虚に生きて、ギフトを託されるに値する心を養っていきたいです。

(本投稿の執筆時間 55分)

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