精神状態は「書き方」に現れる〜字や文章に乱れが発生したら危険信号

はじめに:読解力というインプット能力は飯の種

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(写真)を読了しました。日本人の読解力について警鐘を鳴らしていました。中学校を卒業しても、中学校の教科書を読んで満足に理解できない人が多いことを、詳細に分析して述べていました。

私自身が中学生だったのは今から30年前(1986年〜1989年)です。今と異なり、当時は読書嫌いでした。それでも塾に通い(私立中学の受験は全て失敗したこともあって)私立高校入試の勉強を必死にして、英数国3科目受験の私立高校3校に合格しました。浅野高校と海城高校と慶應義塾高校(塾高。補欠ではない。なお、慶應義塾志木高校は不合格)。これで晴れて塾高に進学できたわけです。

それでも、国語には自信がありませんでした。もはや明確には思い出せませんが、数学と英語で不合格にならない程度プラスアルファの点数を稼いだと思います。

著者の新井紀子さんは、東大や京大に入学できるためには、12歳の時点で相当高いレベルの読解力を身につけている必要がある旨、述べています。私は小学校時代は塾に通うも、スーパーマリオブラザーズやゼビウスや燃えろプロ野球などファミコンに明け暮れてしまい、受験勉強をおざなりにし、私立中学の受験に失敗しましたから、12歳の時点で相当高いレベルの読解力は無かったと言わざるを得ません。

大学は、塾高の成績のみで(受験することなく)進学できる慶應義塾大学の、総合政策学部でした。総合政策学部のある湘南藤沢キャンパス(SFC)というところは、サボれる授業があまりありません。期末以外にもレポートが多く、授業によってはディベートやプレゼンがあったりと、必死に勉強しないと単位が取れない授業が少なくないこともあり、いやがおうにも沢山(高校時代以前よりも沢山、という意味)本を読むことになったと、振り返って思います。まずは、大学で読解力を伸ばしたはずです。

卒業後、最初の会社を辞めてから、公認会計士2次試験を受けることになり、大原簿記学校に通いましたが、専門学校での受験勉強とはいえ、読んだテキストの分量はダンボール一箱分はあります。当時の科目名でいえば、簿記・財務諸表論・原価計算・監査論・商法、それに加え選択科目の経営学と民法。7科目を一度に受けるというのは、頭に自信が無かった私にとっては無謀ともいえ、非常に、血が出るほど凄まじく大変でした。この受験勉強を通して、少なくとも受験科目に関しては読解力を伸ばしたはずです。

公認会計士も税理士も、プロだから当然といえば当然なのですが、難解な専門書や条文集を多数読みこなせないと商売できません。会計基準や監査基準、そして税法も、プロにとっても難解に感じるものを読みこなし、それを事実に当てはめて解釈して行かなければ、商売できません。

さらには、経済、経営、税法以外の企業や取引に関する法規〜会社法、商法、民法を読み続けるのも商売のうちです。

流石に相応の読解力は身につけてきたと自覚していますが、これまでの人生を振り返りつつ「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んで、私の読解力はまだまだ伸ばす余地がある。絶対に現状に満足してはいけないと思いました。

そもそも「勉強をしなくなったら、プロとして終わっています」です。

読んで理解する、広く理解する、深く理解することは飯の種という認識を新たにできました。

記述力というアウトプット能力も飯の種

さて、読解力という前置きの方が長くなってしまいましたが、プロとしては当然(どんな職種でも)アウトプットが求められるわけです。

公認会計士や税理士は、監査調書を作ったり監査報告書やマネジメントレターを書いたり、税務申告書を作ったり月次決算説明書やグラフを作ったりと、書かれたものが成果物になります。

したがって、記述力というアウトプット能力が、飯の種なわけです。

そして、その記述も、証拠と論拠に基づいた、ロジカルで整然として、なおかつ分かりやすいものでなければならないわけです。それは、しっかり読めて理解できていることが前提になっているといえます。

お客様、クライアントとコミュニケーションを十分にとって、理解して、記述するという点では、高度なコミュニケーション能力が求められるといえます。その上に記述力が必要になるわけです。

さて、記述力というのは、紙や画面の上に表現されるものですから、そこにはいやでも「能力」「気力」「精神状態」「モチベーションの強弱」というものが出ます。

手書きというアウトプットは精神状態がわかりやすい

私自身、監査法人に勤務していた時代、仕事のモチベーションが上がらない時期がありました。クライアントの課長からは下に見られストレスが溜まる、監査法人の上司(主査やパートナー)からは怒られまくってめげるなど、モチベーションが下がりまくった時期がありました。

その時は、今と異なりまだ手書きの調書が少なくなかった(今は、監査調書もExcelのファイルのまま、クラウドの監査調書ファイル(監査業務のプラットフォーム)にアップロードする)ので、精神状態の悪さは、字になって現れました。

決して綺麗な字ではありませんが、健康で落ち着いているときは、私はしっかりした字を書けます。しかし、精神状態が悪いと、字が乱れます。当時の字の乱れは露骨だったと記憶しています。

仕事の参考にする先輩方の調書は、「単にそこから仕事のノウハウを盗むもの」というだけでなく、その先輩方が仕事をしていた当時の精神状態が表現されていると思って見ていました。

精神状態がベストではないならば、字が乱れます。ひどければ読むに堪えないほどに。逆に精神状態がよければ、字のきれい汚いは置いといて、字がはっきりしっかりと、強めの筆圧で書かれています。文章の構成も分かりやすかったです。

後輩たちの調書を見る際にも、単に「調書が分かりにくい」とせず、調書の文字の「表現のされかた」から読み取れる精神状態も想像するようになったものです。

画面やプリントアウトされた活字は一見わかりにくいが読めば精神状態がわかる

さて、Excelなど電子監査調書であっても、手書きはなく印刷ないし画面に表示された活字ながら、文章を読めば、その調書を書いた人の理解度や精神状態が想像できます。

主語(Who)と述語(What)が分かりにくい、書類の名称が不正確、通読すると読みにくいなど、文章がスムーズに流れていないのです。

さらには、これはExcelのスキルの問題もあるかもですが、Excelの関数の使い方や、セルの色やフォントが見辛いなど、表現に「引っかかる」ものを感じます。

電子の記述は、コンピュータを介しているため、字の形とかバランスといった個性は分かりませんが、文章の書かれかた(表現のされかた)に精神状態が現れるといえます。

おわりに

さて、自分自身だけでは、なかなか自分自身を客観視しにくいものですが、少なくとも、手書きしたものや、入力された文章を見直して見て、精神状態がどうなっているか、自分で自分の状態を眺めながらやろうと思っています。

字がしっかり書けていれば調子が良く、調子が良くなければ字が乱れる。

そもそも、書いている時の気分が良いのか、ほどほどに良いのか、それほど良くないのか、悪いのかといった、書いている時の自分の精神状態を自分で素早く察知して、早めの回復を心がけたいと思っています。

今回の投稿は、読解力の話に始まり、記述力の話につなげましたが、人間はやろうと思えばどこからでも成長できると信じ、精神状態のケアと読解力・記述力の強化の両立を図ってまいります。

(本投稿の執筆時間 100分)

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