なぜ勉強するのか?

はじめに

このブログを読んでいる方の中には、これから公認会計士や税理士を目指す方もいらっしゃるかもしれないし、これから高校、大学に入学する、あるいは受験勉強しているという人もいるかも知れない。

小学校や中学校の頃には、親から「勉強しろ」と言われて、いやいや勉強した記憶のある人もいるかも知れない。塾に通わされた人も、塾に自分から進んで通った人もいるかも知れない。

私自身は、小学校や中学校の頃、勉強することの意味を深くは考えず、親から「勉強しろ」と言われたこともなく、ただただ、いじめに遭うような環境から逃れたい、良い高校に入れば、未来が開ける、女の子にもモテると信じて、受験勉強をしていたに過ぎない。

いい中学、いい高校、いい大学に入るためか?

今、このブログを読んでいる人が、中学受験、高校受験、大学受験の勉強をしているひとならば、自分がなぜ勉強をしているか、考えているだろうか。君たちの親が、なぜ勉強を勧めるのか、考えたことがあるだろうか。

君たちの親も、若い頃必死で勉強をしていたはずだ。いや、今も、受験勉強ではないけれど、まともな大人であれば、必死に勉強をしているはずだ。私がそうであるように(私がまともかどうかという議論は、脇に置かせていただきます)。

(親自身が勉強をしないのに、子どもには「勉強しろ」というのは、正直どうかと思う)

受験勉強が終わっても、受験のためではないけれど、勉強は続く。勉強というのは決して、受験に合格するためではない。受験に合格するのは「手段」に過ぎない。

いい学校には、厳しい勉強をやって受験をパスした才気あるひとたちが多いものだ。

親が子どもをいい学校に入れようとするのは、子どもがそこで色々な才気ある人たちに揉まれて、成長してほしいと願うからだと私は思う。

いい会社に就職したいからか?

それでは、受験勉強をパスして、望みの学校に入って、そこでも勉強をし続けるのは、いい会社に就職したいからか。

もしかしたら、いい会社に就職するために勉強をするという人もいるだろう。それはそれで悪くない。では、なぜいい会社に入りたいのか?それを考えているだろうか?

家庭によっては、いい会社に入るよう、「過剰な」期待をされて、いい会社に入ること自体を目的にさせられているかも知れない。

それに、いい会社と思っている会社は本当に「自分にとって」いい会社なのか?

誰もが知っている有名企業は、企業のごくごく一部に過ぎない。有名ではない企業の方が圧倒的に多い。有名企業に入りたいとしたら、それはどうしてだろう?

誰もが知っている有名企業だとしても、そこでずっと働けるかどうか、そこでずっと働きたいのかどうかは、分からない。

山一證券や北海道拓殖銀行、リーマン・ブラザーズ証券を引き合いに出すまでもなく、誰もが知っている有名企業でも潰れることがある。

それに、年齢を重ねれば、感情や欲求も変わるし、テクノロジーなどの社会環境も変わる。そうなると、一定の時期が来ると違う会社に勤めたくなったり、違う仕事をしたくなることもある。

結局、「いい会社」に入るのも、手段に過ぎないし、途中経過に過ぎない、そう思って良いのではないか。

出世したいからか?権力を手にしたいからか?

いい会社に入ったとして、そこでは、仕事で成果を出すことが求められる。成果を出せなければ昇給も出世も望めない上、ひどければ解雇されることも考えられる。仕事で成果を出すために勉強するというのは全うに思えるが、それでは、なぜ仕事で成果を出したいのか。そのために勉強したいのか。

資格試験のように、資格を取得するための勉強もあるけれども、社会人になってからの勉強は、受験勉強と違い、直接に給料や売上に結び付く。さらには、生産性の向上や労働時間の削減にも役に立つ。

さておき、社会人になってからの勉強は、出世したいからか、出世して社長とか役員とか地位の高いポジションを手に入れて、権力をかざしたいからか。

権力欲の強い人は、それでもいいのかも知れない。しかし、権力を手に入れることそれ自体も、目的ではなく、手段ではないだろうかという気がしている。

本当のところどうなのか?

マズローの欲求5段階説というのを知っていることと思う。

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 社会的欲求
  4. 尊厳の欲求
  5. 自己実現の欲求

人間は欲求を、1番から順番に充足していく。生理的欲求が充たされて初めて、安全を求め、安全が確保されて初めて、何らかの組織に所属したり、つながりや愛を求めたいという気になる。そうした社会的な欲求を充足して尊敬されたいと思うようになり、尊敬を集めて充足してやっと自己実現をしたいと思うようになる。そういうことである。

44歳4か月を過ぎても、この程度の考えしか持てないのは我ながら不甲斐ないと思うが、結局、欲求を充足したいから人間は勉強したいのではないだろうか。

日本に限っていえば、生理的欲求や安全の欲求は(治安が諸外国よりも良いので)充足しやすいといえる。それでも勉強を続けるのは、人間関係に恵まれて、尊敬を適度に集めて、自分がやりたいことを見つけてそれを達成したいからだと思う。

そう考えると、勉強をしない大人というのは、精神衛生上の問題点を抱えているのではないかと思ってしまう。私にもそういう時期があった。激務が続いて心身が故障して勉強などしたくない、やる気が起きない時期があった。そういう時には休むことも必要だと思っている。

人間は食べるために生きるのではなく、生きるために食べる存在である。生きたいがために。勉強をしている大人というのは、必死に生きている大人である。

明日も明後日もそのまた次の日も、日々勉強を続けよう。墓場に入ってもなお続ける勢いで。

自分自身幸せな人生を送りつつ、社会に良いものを残そう。勉強によって。

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(本文と直接関係はありませんが、現在勉強中の本です)

(本投稿の執筆時間 60分)

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