「英語を間違えると恥ずかしい」とは、外国人に対してではなく「日本人の評価」を恐れているのではないかと。

(2004年からずっと使っている名刺ケース大の電子辞書 CASIO EX-word)

私は英語がとても苦手です

間違いなく私は英語がとても苦手です。

しかし、海外旅行は大好きで、文法的にも語法的にもひっちゃかめっちゃかな(ブロークンな)英語で、なんとかやっとこさ一人旅ができる程度の英語力は、かろうじて維持しているような気がするのですが。

2004年から2005年にかけて、TOEICやTOEFLのスコアを上げたいと、英語のコーチングスクールに通ったこともありましたが、挫折してしまいました。

これ以後は体系的に英語を勉強していないこともあり、英語を使う機会は海外旅行くらいしかないので、英語力は上がらないままです。

直近の海外旅行は2015年と2016年に行った、アメリカ・オレゴン州のポートランド。現地にアメリカ人の知り合いもできましたが、話したいことが日本語で浮かんでも対応する英語が頭に浮かばない始末で、言葉(英語)に詰まって、歯がゆい気持ちでいっぱいでした。

すごく久しぶりに受けた2年前のTOEICは、550点くらいと記憶しています。

受験英語のレベルも、私立高校入試をパスするレベルで止まっています(大学は内部進学で、大学入試を受けていないので)。

英語が上手く話せなくて恥ずかしいと思うのは、実は日本人の評価を恐れているから

今は、私が学生だった25年前に比べると、英語の得意な日本人が増えたと思います。

カフェやコーヒースタンドのバリスタ、地方を旅したときのゲストハウスなどの宿のオーナーは、流暢に英語を話します。バリスタにはオーストラリアなど海外で修業している人も少なくなく、英語が得意な人が多いです。また、宿も含めて、そもそも外国人観光客が増えているので、外国人観光客とうまく話せるように英語の訓練をして、実際に外国人観光客と日々お話をしながら、英語力を伸ばしてきたのだと思います。

さて、私の英語がとてもブロークンなものであっても、アメリカ人は、日本人に比べると寛容に耳を傾けてくれると感じるのです。オレゴンの知人もそうでした。日本人が全くいない環境下では、ブロークンな英語を話しやすいような気がしています。

一方で、私は「日本人の方が外国人よりも、英語が下手な日本人に対して厳しい」と思っています。私のブロークンな、文法的にも語法的にも語彙力的にもめちゃくちゃな英語は、他の日本人には聞かれたくないという気持ちが強いです。

外国人が下手な英語に寛容でも、日本人はそもそもハイレベルなものを求める上、身内に厳しい傾向が強いと思うので、日本人が日本人に対して「この人の英語へたくそだなあ」と評価する傾向は強いように思います。

日本人も、日本人の話す「ひっちゃかめっちゃかな英語」に寛容になってほしいと思うのは、もしかしたら私だけではないと思います。

なんとか開き直りたいと思っています。英語をあきらめきれていないので。

最近ではGoogle翻訳もあり、翻訳という作業はITに任せられることが多くなってきたので英語を学ぶ意義が乏しいのではないかという声もあるみたいです。

しかし私は、特に最近マラソンを始めてから感じたのですが、英語はスポーツ、ないしは体育ではないかと思うのです。

(自分の)五感と第六感を動員して言葉を生成してアウトプットするというのは、人間にしかできないのではないでしょうか。

生身の人間同士が言葉を交わすということは、テクノロジーの進歩にかかわらず、無くならないのではないかと思います。そうであるならば、生身のからだとこころに英語をインプットしてアウトプットできるように、スポーツのようにトレーニングするのは意義のあることではないかと思います。

日本を訪れる外国人にも日本語ができるひとはいて、日本語は通じると思いますが、事実上の世界共通語である英語を通しても話ができれば、もっと濃密なコミュニケーションができるのではないかと。

私自身も、英語力も健康と同じようになかなか諦められないからこそ、「英語の多動力」(堀江貴文著・DHC)に思わずクリックしてKindleで読むに至りました。

書きながら思いましたが、英語が苦手というのは、スポーツが苦手に通じるものがある気がしました。スポーツが苦手なところは人に見られたくないのですが(体育が苦手で、小学校でも中学校でも高校でも体育の時間が辛く感じました)、英語も同様で日本人に英語が下手なところを見られたくないのです。

しかし、ここはメンタルタフネスを鍛えなければならないのですが「高本くん、君の英語はへたくそだねえ」と(日本人からでも外国人からでも)思われても、平気になりたいと思います。

ついつい、他人の評価は気になってしまいますが、他人の評価を気にして、へたくそな英語でも批判や評価を恐れて話さなければ、英語力は伸びないし、一歩も前に出られません。

もし、英語が得意になって、いかなる英語でもはっきり聞き取れるようになったなら、もっと幅広い知見を得ることができると思っています。

(本投稿の執筆時間 60分)

 

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