インプットとアウトプットのやり方を再学習

(たまたまアマゾンに表示された、インプットの本とアウトプットの本)

ビジネススキルとして重要視されるインプットとアウトプット

最近、「インプット」という言葉と「アウトプット」という言葉をよく聞きます。インプットとは入力、情報が体内・脳内に入っていくこと。アウトプットとは出力、体内・脳内から情報を発信・表現することです。

ビジネスでもスポーツでもアートその他の創作活動でも、インプットの質と量、アウトプットの質と量がかつてないほどに問われるようになってきていると感じています。

最近、アマゾンのアプリを見ていたらたまたま、写真の2冊の本が目に飛び込んできました。

これってもしかしたら、インプットとアウトプットのノウハウ・方法を体系的に学び直した方が良いということか?という思いが沸き起こり、すぐに2冊とも購入しました。

振り返ればインプットの方法もアウトプットの方法も、公認会計士試験の受験勉強を通して、受験学校で受験に必要なインプット方法(レクチャーの受講、テキストの読み込み)とアウトプット方法(問題集、答練とその反復的復習)を教わったことはあっても、一般的に通用する方法を、体系的に学んだり教わったりしたことはありませんでした。他人を見よう見まねで、真似しながら今日に至っています。

昨年の7月から始めたブログも、(最低限でも)平日毎日を継続できていなくて、途切れ途切れになってしまったりと、アウトプットの点だけではなくインプットの点でも克服すべき課題を持っています。

  • ネタ切れにならないためのインプットのやり方
  • 不特定多数の人に読んでもらうための、発信する度胸(メンタリティ)の持ち方
  • 同じく、不特定多数の人に読んでもらえるようなアウトプットのやり方

この3点もさることながら、他にも自分が気が付いていない点を、この2冊を読むことによって発見して取り入れたいと思っています。

25年前よりも重視されるようになったアウトプット

私が学生だった頃(25年前、1993年は大学2年生)は、今のようにアウトプットを強く求められてはいなかったと思います。

とはいえ、私が通っていた慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)では、ゼミでも専門科目でもない一般教養科目においてすら、ディベートで自分の意見を主張したり、プレゼンテーションを通して〜動画を撮って編集して一本のVTRを作成したりしながら〜グループのリサーチ成果を発表したりと、レポートやテストにとどまらず、アウトプットを、様々な方法で、訓練するよう求める傾向がありました。

現代においては、ブログ、Twitter、Facebook、Instagram、Youtubeと、インターネットを介して誰でも自由に文章、写真、音声、動画を駆使して発信が可能になり、その上、ブラウザで検索すれば発信された情報にアクセスし得るようになっています。ネット上に積極的に発信しなければ、存在しないも同然という時代になっています。現実世界には当然存在し、ネット上へのアウトプットを通してネット上でも存在する必要があるという、ダブルで世界に存在し得るためにアウトプットが必要な時代です。アウトプットの重要性が増しているというのはそういうことです。

最近の大学の授業がどのように進められているのかは分かりませんが、年々、プレゼンテーションスキルの向上を求める方向になっていると思われます。スキルだけではなく、プレゼンテーションを厭わない心の持ち方(メンタリティー、度胸、勇気の持ち方)を含めて。

写真の左側の本「学びを結果に変えるアウトプット大全」(樺沢紫苑著・サンクチュアリ出版)はまだ2割も読んでいませんが、インプットを血肉とするのにはインプットとアウトプットの比率がインプット3:アウトプット7と、アウトプットをより重視するよう論じられています。

アウトプットとインプットは表裏一体ということもあり、インプットについても論じられていて、授業や講演を聴く際には「記者になるよう」つまり質問をつくりながら聴くよう論じられています。

研修やセミナーをついつい受動的に、漫然と聞いてしまいがちでしたが(研修によっては質問を受け付けないものもあるが)、少なくとも「○○○○○だけは理解して(学んで)研修を終えよう」と一つは目標を持って受講しようと思った次第でした。反省。

相変わらず重要なインプットは選択と効率化が一層重視されるように

さて、誰でも自由にインターネット上で情報を発信できる現代にして、書物の数も年々積み上がり、書店に行ってもアマゾンのようなインターネット上の書店でも図書館に行っても、書物(本)の数は星の数ほどあると言ってもいい時代になってきました。1993年の蔵書の総数と、25年経った今の蔵書の総数とでは、今の蔵書の総数が多いのは明らかです。

ところで、インプットについての本「『読む力』と『地頭力』がいっきに身につく東大読書」(西岡壱誠著・東洋経済新報社)、今まだ2割くらいしか読んでいませんが、タイトル、装丁、帯から本の内容を想像して付箋にメモすること(今までの私は頭の中でイメージするのみでメモとしてアウトプットしていない)や、興味深いのは前記アウトプットの本で主張されていたのと同じように「記者になること」を論じていて、読書の際にも記者として質問をつくりながら読書を進めるよう主張されていました。同じことを論じているところに読み比べてみることの面白さを感じました。

普段あまり意識しないこと、質問と疑問の違い(質問とは明確な答えを求めて尋ねること、疑問とは明確な答えを求めるのとは異なり疑ってかかること)についても気がつき、情報に接したときの頭の中でのモヤモヤ感について、これって質問(明確な答えを知りたい)なのか、それとも疑問(本当かどうかの疑い)なのか、もっとはっきり区別してみようかと思いました。

話を戻して、情報過多という社会の傾向は強まる一方であり、情報リテラシーとは得るべき情報の選択(何を読むべきかの選択)と、選択した情報を効率的に無駄なく早くインプットすることが求められているように感じます。情報(読書)の選択と効率化です。

選択には目的意識や動機が必要で、効率化には技術(速読術など)が必要です。特に「選択」にはその人そのものが問われるとともに、選択によりその人そのものが出来上がります。

「なんとなく」という感覚であってもそれを言語として表現して明確にすることも必要かもしれません。「選択」することの重要性がますます高まっていく中、より良い選択をするためには「なんとなく」ですら「明確に表現」する必要がありそうです。

再学習(学び直し)もまた重要視される時代に、積極的に学び直す

アマゾンを見ていて偶然同時に飛び込んできた2つのタイトル、インプットとアウトプット。

これまでに授業や研修といった「明確な指導・教授の場所」に加え、職場のような「必ずしも明示的ではなく、見よう見まねを含んだ黙示的な学びの場所」で、そこそこの学びをしながらここまで生きてきましたが、体系的な理論を得ながら「再学習」することには、今後キャリアを積み重ねてゆくことにとって、重要な意味があると思われます。

一つの職業、一つの会社だけで人生を終えず、複数の職業、複数の会社を経験しながら100年の人生を生き抜く必要のある時代。

アメリカでは「人生に悩んだら大学に行け」という言葉があるくらいですが、日本においてもそれは同じであり、年々そういう傾向が強まりそうです。

「学ぶことはいつ始めても良く、学びには終わりがない」

必要が生じたならばいつでも再学習して、スキルを回復したり強化したりして、次々と直面する問題を解決する力を高めていきたいです。

(本投稿の執筆時間 60分)

 

Follow me!