ルールについて考える
e-ラーニングで公認会計士協会の研修を受講しました。不正への対応がテーマです。
研修の前半では、自動車メーカーの検査不正問題などを引き合いに出し、法律、基準、規程など各種のルールに従った経営の必要性について取り上げていました。
ルールを守るのは当然
研修では、ルールに抵触する実務上の慣行や前例の方が、ルールそのものよりも重要視されることが継続している状況を批判しつつ、国際的なビジネス慣行としてのルール遵守にも言及しつつ、ルールを守るのは当然であることが主張されていました。
「(ルールにはこう書いてあるけど)ずっと今までのやり方で通ってきたんだからいいでしょ」「(ルールにはこう書いてあるけど)お客さんが(ルールに抵触しても)受け入れてくれているからいいでしょ」ということは、ダメということです。
ルールを無視することのデメリットとして、
- 他者に迷惑がかかること
- 歯止めが利かなくなること
- 信頼されなくなること
- 結局はルールを無視した自己が損をすること
が挙げられます。
ずっといままでのやり方が通っていたり、お客様が受け入れてくれていたとしても、お客様や第三者に我慢を強いていた可能性は大きいですし、ルールを守っていれば、お客様や第三者により良いサービスや製品を提供できていた、よりよい影響を与えられた可能性が大きいのです。
ルールの目的や意味を理解しているか
一方で、盲目的にルールに従って動くのはどうかと考えます。「ルールだから」といって、ルール通りにやることを強制されても、納得のいかない気持ちが残るでしょう。
ルールには存在理由、存在意義があります。
ある一定の目的を達成するために、
またある一定の不利益を回避するために、
ルールというものが設定されたはずです。ルールとは手段であって、目的ではないのです。
そうしたルールの目的や意味を理解しないと、ルールを守ることへのモチベーションが保たれなくなってしまうと思われます。
さらには、ルールを順守した経営を実現するためには、ルールの目的や意味の理解を全社で共有する必要があるといえます。
ルールと実際の運用(実務、実態)とを常に比べる
ルールには、ルールが定められた時の環境とか状況、社会・経済情勢や技術の影響が入り込みます。ルールを決めるのも人間であり、その人間がルールを決定するときの環境や状況などを意識的にせよ無意識的にせよ考慮して決定されます。
なので、時間が経過するごとに、時間が経過すれば環境や状況が変化するので、ルールと実際の運用(実務や実態)がずれていきます。実際の運用は、環境からの要請に左右されるものだからです。
そこで、ルールと実際の運用とを常に比べてみて、ずれが生じていないかチェックする必要があるのです。
ずれを放置すると、いわゆる「形骸化」という現象になってしまいます。形骸化してしまうと、もはやそのようなルールを守ろうという気にはなれません。
ルールが実際の運用(実務、実態)とずれている場合はルールを変える必要性も
ルールもまた、生きているものといえます。
ルールが生き続けるためには、つねにルールが現実の環境や状況、社会的要請に適合しているか、見直されなければならず、見直しの結果、改訂(変更)が必要であれば、その理由を明確にした上で改訂されなければなりません(改訂が不要でも、その理由を明確にした上で、そのままにします)。
現実の環境や状況に照らして不要なルールは削除され、追加の必要性がはっきりすれば新たなルールが追加されることも当然あります。
ルールは単に遵守すれば良いというものではなく、意味や目的を理解し、さらにはルール自体の改訂の必要性も念頭におきながら遵守するものです。
ルールは多くの場合、議会の議決であったり、取締役会の決議であったり、取引相手との、ないしは部署内の合意であったりと、合意によって決められ、独断で決めたり改訂したりできるものではありません。しかしながら、ルールを適用して何かをする際に、ルールの意味を確かめたり調べたり、ルールが意味をなさないと判断したならばルールの改訂を提案することも必要になってきます。
ルールを守ることは信頼につながる
さて、情報技術の進展した現代社会においては、あらゆるものが可視化されつつあります。SNSを通じて、個人の思想や行動、共感の数量に至るまで。
加えて、これまで、暗黙の了解として明文化されなかった行動や慣行、慣例についても、明文化される流れになっていると感じます。
人の移動が国際的になり、取引も国境をまたぐ、日本国内であっても日本人同士の取引で完結せず、外国人が多数入国し外国人と取引をするとなると、(相当に)異なる価値観の者同士の合意は「あ、うん」の呼吸という不文律では済まされなります。
そこで、契約や規約などとしてルールとして明文化した上で、お互いに納得していく必要が生じるといえます。明文化がグローバルスタンダードといえます。
明文のルールをつくって、それを遵守することにより、価値観や行動様式の違いなどから起こる各種のトラブルを予防できる上、ルールの遵守それ自体に安定感があり、信頼が生まれるといえます。
おわりに
ルールは守らなければならないから守るもの、とも言えてしまいますが、ルールを守るべき理由として、ルールを守った結果の目的の達成、信頼関係の構築があるわけです。
ルールは常に現実と比べ、改訂が必要とされるうえ、情報技術の進展と国際化によりルールの重要性も高まっているといえます。
今回の投稿をきっかけに、ルールというものについて、今一度深く考えて頂ければと思い、パソコンを閉じます。
(本投稿の執筆時間 90分)