お金を払うときは投資なのか消費なのかそれとも浪費なのかを意識する
支出して買ったもの、得たものが
投資なのか、消費なのか、それとも浪費なのか
これを、数年くらい前から意識するようにしていますが、最近ただのサラリーマンから財布を18個まで増やしたお金のルールチェンジ という本を読み、この意識を今一度強めようと思いました。
そもそも、何に支出するのか、例えば食べ物か、衣類か、自転車の部品か、本か、それとも定期預金かといった、支出の対象は目にも見えるし実感しやすいので、分かっているとしても、それがどのような効果を持つものなのか、長いこと理解が不十分だった気がしますが、かなり前に、稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?という本を読んで「投資」「消費」「浪費」という、支出の分類を知って以来、意識するようになりました。
誰の言葉か思いだせないのですが「収入を得るよりも支出するほうが難しい」と言っていた人がいたように、人は、常日頃意識していないと、支出に関し、ついつい投資が少なく、浪費が多くなってしまいがちに思います。
投資は、長期的に使用し、価値が減りにくいもの、場合によっては価値が増えていくもの、ないしは将来の収入につながるものです。収入につながらなくとも、長きにわたって使うことによって高い満足度を得られるものも投資です。金融商品の購入ばかりではなく、本を読んで何かを学んで新しい行動に結びつく、セミナーや研修に参加して次の仕事に役立てることができる、というのも投資です。
消費は、使ったら終わりというものですが、次に述べる「浪費」と異なり、使った分だけの満足度を得て、使い切ったといいうるものです。食べ物を例にとると、買った食べ物を残さずすべて食べることは消費といえます。衣類で言えば、着ることによって満足度を得て、タンスやクローゼットの奥に眠ってしまうことなく、短期間ではない期間着用することで「着切った」といえるものです。書籍なら少なくとも一回は通読し、そこから何か雑学を得た状態でしょう。
浪費は、無駄遣いです。何の役にも立たない支出、使い切らずに廃棄することとなってしまう支出です。食べ物を例にとると、買ったにもかかわらず食べきれず、腐らせてしまい廃棄してしまう場合には、廃棄した分は浪費(無駄)になってしまったといえます。衣類で言えば、買ったにもかかわらずあまり着ることなく、タンスやクローゼットの奥に眠ってしまうもの、書籍なら読まないでいることです(よまずに結局はブックオフなどに売却すると、売却代金と購入代金の差額が売却損となる)。
パチンコやギャンブルも、気分転換程度にわずかにやる程度なら「消費」といえる気がしないでもありませんが往々にして無駄遣いといえます。私はパチンコやギャンブルはせず、その分は良い食事や読書にまわします(そもそもパチンコやギャンブルをしたいと思わない)。
結局は「満足しながら使い切った感の無いもの」は浪費といえるでしょう。
買い物という行為は、依存性のある行為であり、一瞬の刹那的行為といえますが、刹那的行為だけで終わってしまえば浪費といえます。衣類の買い物にはありがちなパターンではないでしょうか。
何か買う際には気を付けています。
買ったものは長く使っていけるものなのか、あるいは価値が上がったり使うことで満足度が高まるものなのか、使わずにほったらかしにされることはないか。欲しいなあと思っても、使わないことが想定されるならば、買わないことにしています。
買ったものを使っているシーンをイメージして、そこから「使い切れる」ことが読みとれれば、自分に買うことをOKします。「使い切れる」ことがイメージできなければ買いません。
あるいは、使い終わったら売却するものは(私の場合はゲーム機がそれにあたりますが)、売却するまでの間「使い切れるか」がやはりポイントとなります。
(本投稿の執筆時間 45分)